日本の闇

こんにちは!

 

そこらの大学生が日本の闇を紹介していきます!

 

とその前に今日ブログが公開される8月15日は終戦の日です。我々の後世のために命をかけ日本を守った先人達に対して深くお礼を申し上げましょう。

 

さて今回の第8回は 戦後の日本⑤ です。

 

時は1945年8月15日。昭和天皇玉音放送で臣民に終戦を告げました。ポツダム宣言を受諾したのです。そのポツダム宣言の内容には国体護持について、すなわち天皇を中心とした政治体制の仕組みが条件ついていなかったため、これほどまでに戦争が長引いた要因でもあるのです。

 

その後GHQは日本を占領し、様々な日本の政府幹部をA級戦犯として逮捕しました。

 

そして迎えた9月27日です。

この日昭和天皇アメリカ大使館へ向かいました。そうです天皇マッカーサーのもとへ出向いたのです。マッカーサーはタバコをくわえながら天皇を見下した対応をしようとしていました。なぜならマッカーサー天皇が自分に「命乞いをしにきた」と思っていたからです。

そんな中、昭和天皇マッカーサーにこのようなことを言いました。

 

「この戦争の全ては私(昭和天皇)が指揮したものであり、誰一人悪いやつなどはおりません。この戦争の全ての責任は私が負います。絞首刑やいかなる極刑にも受ける覚悟であります。ですが、閣下(マッカーサー)の寛大なご配慮のもと、日本国の大勢の民8000万人分の衣・食・住の点においてご配慮を宜しくお願いしたい限りでございます。」

 

いかがですか?内容は異なりますが、だいたいはこのような内容です。様々な国の天皇は「自分だけはどうか殺さないでくれ」と訴えていたにも関わらず、我が日本国の天皇は「全責任は私にある。いかなる極刑も受ける。」とこう述べたのです。これに対しマッカーサーはすぐさま昭和天皇含めた日本国のファンになりました。この対談の帰り際、マッカーサー昭和天皇が車に乗車する際、車の扉を開け乗車を手伝いするなど明らかに対応が変化したのです。

 

そしてここにはマッカーサーのエピソードもあります。この時日本の人口は多く見積もっても約6500万人ほどしかいませんでした。ですが、約8000万人分の食料などをアメリカにマッカーサーは指示しています。

 

マッカーサーは敢えて余分に指示する事でアメリカが飢餓による日本国民の死を望んでいる事なども想定していたため、食料などに困らないように多めの物資を要求したのです。まさにこれらのことがいわゆる「美談」というものです。

ただマッカーサーはこの件が見つかり、更迭されてしまいます。ですが、その後1951年のアメリカ議会にて、マッカーサーは「日本の戦争は自衛戦争であり、侵略戦争ではない。日本は戦争回避を望み努力をしていたが、アメリカ側が強硬な条件を突きつけたために戦争へと至らざるを得なかったのだ。」と開戦当時の大統領ルーズベルトを批判し、言ってのけたのです。

 

これらの事は教科書に絶対に載せなければいけない事柄ですが、学校教育では1ミリも触れていません。

それどころか「日本は侵略戦争だ」や大東亜戦争から太平洋戦争へと名前をGHQにより変更させられ、侵略戦争であったかのように見せたのです。

 

そのため、我々日本人は間違った洗脳教育を受け、自虐史観を植え付けられ、今に至るのです。

 

いかがでしたか?

 

我々が受けてきた歴史教育は全て「GHQ」による作られたものだったのです。

 

皆さん、もう一度歴史を勉強し直す必要がありそうですね。ですが今からでも間に合います。

 

歴史は変化しません。変化する歴史があるとしたらそれは教科書会社やメディアの「改ざん」なのです。

 

愛国心を取り戻し、強い日本を作りましょう!

 

それでは!